記憶の中の風景(2003年4月) | IMCニュース
記憶の中の風景(2003年4月)
『記憶の中の風景』という題で記憶を追ってみると、断片的な風景が走馬灯のように脳裏を駆け抜けていきます。その中でストップと声をかけて止めた所の風景を描いてみようと思い走馬灯のスピードを落として選ぼうとしましたが中々決まりません。想い出深い風景、衝撃的な風景、恥ずかしい風景、想い出したくない風景など、断片となった思い出が心をかき乱します。幼い頃、学校に上がった頃、初恋の頃、中学、高校の思春期、大学、卒業して医者として初めて仕事についた頃、子供の成長を目映い光の中で見ていた頃、様々な頃を思い起こしながらその風景を映写機で映し出そうと試みましたが、これだと思えずまた映写機のフィルムを変えてしまいます。ただその中で共通する記憶に気がついてそれを表現しようと思いました。 それは車でした。別に特殊で珍しくもない車ですが、その時代時代に父の車、叔父の車、初めての自分の車など車を思い出しながら自分の思い出を重ねて行くとその目の前にその時の自分の眼に映った風景が鮮明に、断片的に時に衝撃的に残っているのに気がつきました。小学校に上がるか上がらない頃の記憶の中で、最初に思い出すのは、父がその頃格好付けて黄色いフォードのオープンカー(今ではコンバーチブルと言うともっと格好いいけど)を買い、鎌倉カーニバルのパレードの後を乗せて通った時の由比ガ浜商店街の町並みが何故か鮮明に思い出されます。目に残った町並みは不思議なことは今とそれ程大きく変わっていないことです。 次の車は多分トヨタのマスターだと思いますが助手席に乗っていた自分が、右に大きくカーブを切った瞬間、ドアーが開き気持ちよく外に放り出されたとき、両手両足を持って友達にプールに投げられたときのような浮遊感と真っ青な夏の空、フロントガラスを透して見えた家並みが目に浮かびます。その時お尻を擦りむいただけで済んだのですが痛みや、ショックは覚えていませんが青空と家並みだけが残っています。 次に思い出されるのは叔父の車、多分ダッジだと思います、に乗って熱海に行った時の事です。夜だったと思いますが自分は後部座席で叔父の運手席の斜め後ろから前方の景色を見ていました。熱海へ行く道は今でも旧道はくねくねと曲がりくねっていて、限界だったのか急に気持ち悪くなって叔父の肩越しにゲエーと嘔吐してしまいました。多分叔父たちは車を止めて後始末に大変だったと思いますが自分の脳裏に残っている景色は、下り坂の道の木々の間から垣間見える熱海の夜景とビニールのシートの冷たい、心地よい感触だけでした。 幼い頃の記憶は特に断片的ですが、このように鮮明な記憶としてその時の風景が目に焼きついています。成長してくるとそれが物語として記憶されており、風景もしっかりと映画のように映写されます。車に係わる想い出も断片的でなく浮かんできます。記憶が新しいほど風景もリーズナブルで、現実的でロマンチックでなくなってしまうのかも知れません。車の変遷とともに辿っていく記憶はまだまだ書ききれないほどありますが、記憶を呼び起こすときに『あの時乗っていた車は何だっけ?』、それに伴う風景にキャロルが、カローラ、マークⅡ、いつかはクラウン、ボルボ、メルセデスが彩を添えてくれます。これからも車を乗り換えていきますが、多くのでき事をそれぞれの車と一緒に『記憶の中の風景』にして行こうと。楽しみです。