過去のニュース(平成14年~20年) | IMCニュース
過去のニュース(平成14年~15年)
当院における色々なでき事をご紹介します。(編集責任者:院長)
平成20年5月12日(月)
ついに鎌倉市医師会立産院の開設が決まりました。来年2月ごろ開院します。
鎌倉市内の出産が湘南鎌倉総合病院以外でできなかったことが解消されます。どんな産院ができるか楽しみです。でも市民の皆様に満足していただける産院にしていきますのでご期待ください。
平成20年3月5日(水)
なんとも言えない位更新を怠っていました。その間時代も社会も、家族も皆一様に変わってしまいました。が、小生は年をとっただけでやっていること、生活は一向に変わっていません。診療に、医師会にと毎日忙しく働かされています。でも自分の好きなことで幸せなのかも知れません。何しろ病気をしてから一日を満足できるように突っ走って頑張ることにしました。
ところで2009年1月をめどに鎌倉市内に医師会が運営する産科診療所を開設することになりました。市民と市行政側の強い要望があり医師会としてそれに応えようとこの事業をする事になりました。市側の全面協力の下に行います。ただあくまでもお産の一次医療を行う施設として設立しますので、ハイリスクの出産、救急などは基本的に予定していません。お産のできる医療機関が鎌倉市内に一箇所しかなく、市内のお産の70%以上が市外で行われている現状の一つの解決策として考えております。まずはお産のできる施設の提供であり、お産に関わるリスクをすべて解決できる施設ではありません。そこのところをどうかご理解いただきたいと思いここに載せることとしました。
孫の件ですが昨年、下の娘も結婚してなんとまたアメリカのハワイに行ってしまいました。でも6月に4人目の孫ができ昨年10月に里帰りして初めて対面しました。(女房は出産後に行き先に対面を果たしておりました。)ご他聞にもれずとっても可愛い女の子で約一ヵ月半最高の日々でした。更に今年の2月には女房はボストンの上の娘のとこに2週間も行き、一人で3人の孫を満喫して来ました。かなり羨ましい。小生は留守の間実は羽を展ばさせていただきましたので文句は有りませんが。でも孫達には会いたいものです。上の孫が8歳(女の子)、真ん中が6歳(男の子)、下が3歳(女の子)会わない内にどんどん大きくなってしまいます。今年は夏に帰ってくると娘は言いますが・・・・・
平成18年9月7日(木)
半年振りに書いてみようと筆を執りました。この間当院ではスタッフの入れ替えが多く人集めに奔走しましたがここへ来てまた一人かけてしまいそうです。特に看護師の募集には苦労します。これを読んだ看護師の方ぜひご連絡、ご紹介お願いします。
実は今年も6月26日から8月20日までボストンから孫3人が夏休みで帰ってきてくれました。2ヶ月弱お父さんの洋之君には不自由させましたが小生たちには最高のプレゼントでした。3人とも去年より大きくなって、悪くなって、逞しくもなって毎日が有頂天でした。上の子は今年日本ならば小学一年生でピカピカでしたが、アメリカで一年生を終了して帰ってきました。日本の学校を体験させたいと両親が考え約2週間、日本の小学校の一学期を体験入学させました。元気に通っていましたが何となく向こうと違うのか時々ぐずっていました。でも近い将来帰ってきて日本の学校へ入るのだから良い経験ができたと思います。真ん中の子は幼稚園です。こちらも小生や娘たちが通った近くの幼稚園へ体験入園させました。この子は男なのでやんちゃに幼稚園を楽しんだようです。一番下の女の子は何しろ先祖は武士で、何事にも動じないでわが道を進むような子で逞しく,かわいらしく、頑固です。考えることやることが想像を超え、どうなるのか?そしてこの下二人に大変なことが判明しました。二人とも血液型がAB型でした。実は小生も、彼らの父洋之君もAB型なのです。小生は仲間が一気に二人も増え内心大喜びでした。何しろ楽しい2ヶ月でしたが家内はくたくたで文句ばっかり小生に当たります。でも可愛い孫たちに囲まれた2ヶ月は小生も家内も十分に満喫できました。ありがとう。
いま誰もいなくなった夫婦二人の元の生活が静かに流れています。実は下の娘も9月になり一ヶ月ハワイへと行ってしまいました。多分今年いっぱいでハワイへ行って結婚するようです(寂しいので)。しばらくは家内と二人(小生の父、姪っ子もいますが)頑張って暮らしていきます。
平成18年2月19日(日)
だいぶサボりました。新しい年を迎えられました。今年は何回も期待して裏切られてきた孫たちの帰国が本決まりになりました。7月に帰国します。うれしいのやらまた裏切られるのかな?と。
術後6ヶ月が経過しましたが実は毎日毎日食欲がすごく、またなぜか食べれるようになってしまい体重が最大22KG減ったのに戻りつつあります。でも元へまでではありませんけど。なるべく太らないようにはしますけど食べられるのはいいことなのに哀しい性なのでしょうか。でも毎日一生懸命診療ができるのが最大の贈り物です。忙しさも以前に戻ってきました。
一時HPが不調でしたが修復できました。今後もなるべく新しい情報を発信していきます。宜しくお願いします。今年の医師会雑誌『神庫』への投稿原稿を下記にアップしました。
平成17年8月25日(木)
実は7月のはじめ突然の腹痛と悪寒戦慄に見舞われ近くの病院へ入院しました。3~4日抗生剤の投与にて症状緩和して退院しましたが腹痛は続き7月5日に胃の内視鏡をしました。結果芳しくなく従兄弟の勤める社会保険横浜中央病院へ入院、精査し外科的処置が必要となり7月13日に日本大学医学部付属板橋病院(小生の母校)へ入院。8月1日に胃切除術を受け8月16日に退院しました。現在食事を含めてリハビリしてます。9月より診療に復帰します。今回自分が患者さまになってみて多くのことが分かりました。小生ココに生まれ変わったつもりで今後の診療に頑張りたいと思います。今まで以上に頑張れる気がします。それから今回病気になってみて家内を一番に、遠くボストンから帰ってきてくれた娘家族(孫3人)、下の我がまま娘、井口内科医院のスタッフ、鎌倉の友人たち、大学の同級生、今まで小生が歩んできた病院の同僚、先輩、後輩、親戚など多くの人たちが心配して代診を含む絶大のご援助を賜ったこと感謝の言いようもなく心を打ちました。人間一人で生きている訳ではない事をしみじみと感じました。
と言う訳で6月22日に書いた記事は開院10周年記念はできませんでした。
平成17年6月22日(水)
平成7年7月17日小生が加わり、リニューアルした『井口内科医院』がスタートしました。早いもので10年がたちました。おかげさまで大きな事故もなく順調に日々の診療に勤しんでおります。これも多くの患者さま、当院のスタッフ、近隣の診療所、病院の先生方のご支持のお陰と心から感謝と御礼を申し上げるしだいです。7月9日にささやかですが新装開院10周年のパーティーを開催しようと思っております。10年の節目を向かえ今後も地域医療の充実と更なるサービスの向上を目指した奮闘していきたいと考えております。今後も皆様の絶大なるご支援、ご指導を持ちまして当井口内科医院の発展を図りたいと思います。
ただ孫たちは後1年アメリカ生活を送ることなり残念ながら今回の10周年には参加できません。寂しいですが来年は孫たちに囲まれた生活が待っているかもしれません。楽しみです。
平成17年5月23日(月)
5月も中旬を過ぎ医師会の活動も新年度に入り忙しくなってきました。毎日の診療は当然ですが、医師会活動は医師会そのもの活動と市や保健福祉事務所からの委託事業も多く忙しさも倍増します。医師会活動は一般的に医師のための活動と思われてはいますが、地域の健康、福祉、介護、保健など行政と共に市町村の公的なサービスの一端も担っています。地道ですが皆様のお役に立っていると思います。昨今医療の問題が多岐に渡りマスコミを賑わせておりますが大部分の我々医療従事者は派手なこと(マスコミに取り上げて貰える)はしていませんが日夜当たり前の診療に邁進しています。救急医療だけが医療でありません。日々の風邪、おなかが痛む、高血圧症、高脂血症など皆様の健康を守るための医療は休みなく行われています。そう言う基本的な医療の上に救急医療や高次かつ先端医療が存在しています。当たり前に当たり前の医療をご理解いただけると昨今の医療問題の見方も変わるのではと思います。欧米の医療を盲目的に良いとお考えの人も多いと思いますが、世界一平均寿命の高いわが国の医療と環境、欧米に比して低額で欧米に引けを取らない医療レベルをもう一度考えてください。医療制度改革で国民皆保険の見直し、自由診療の導入、日本のどこでも、どんな時でも同じ料金で概ね同じレベルの診療を受けられるわが国の制度を否定する現政府の政策はアメリカ映画『ジョンQ』の世界を日本に導入して貧富の差で受けられる医療に差を付けることになってしまいます。本当に皆様も政府の医療政策に無関心でいられますと気が付いたときには素晴しい医療もあるがそれには今の数十倍の医療費を払える人が受けられ、お金のない人は政府や民間の保険会社(今の健康保険を扱っている公的な制度でない)が決めたレベルの医療しか受けられず、もっとお金のない人は(民間の医療保険にさえ入れない人たち)門前払いも当たり前の社会になってしまうかもしれません。色々と分からない先行きですが我々医療従事者も日々研鑽しながらより良い医療を目指していきます。
平成17年4月28日(木)
今日次女の奈織がボストンの長女の所へ行く予定でしたがなんとこの次女が帯状疱疹に罹ってしまい急遽キャンセルになりました。孫たちはこの叔母の突然の変更にさぞかしショックだったと思います。家内が『代わりに行く』と云いましたが、この方が一人でアメリカへ行くのは本人も周りの人も??で一応無理かなと結論しました。今回は諦めますが、孫たちの待つボストンへ来年帰国するまでにどうにか家内と娘(次女)と3人で行きたいと計画をします。
平成17年4月15日(金)
随分書き込みをサボってしまいました。これからは時々書いていきます。ボストンの孫は昨年三番目が生まれ3人になりました。上から美香(5歳)、健人(3歳)、環(7ヶ月女の子)です。娘家族もアメリカに渡って丸4年になりました。6月の終わりに一時帰国する予定のようですがもう一年あちらに滞在するそうです。美香は帰ったら小学一年生になります。孫たちは今アメリカで美香は幼稚園、健人はpre-schoolに通っています。毎日のように家内や娘が電話して様子を聞いています。順調に成長しているようです。これからは孫たちのエピソードを散りばめながらこのコーナーを続けていきます。
平成15年9月27日
忙しさにかまけて更新せずにいましたらもう一ヶ月たってしまいました。ボストンの続きを。到着した日は時差ぼけでせっかく孫たちと会えたのに夕方からは食欲もなく外食したのにぼーっとして帰って即寝てしまいました。翌日はボストン在住のフィリピン人(国籍フィンランド)の友達と会うために妻、娘、孫たちを伴い、ボストンの表参道?、ニューベリー通りへと。しゃれた店の並ぶ落ち着いた街でした。その真ん中辺りにあるレストランで待ち合わせ、楽しいひと時過ごしました。その後通りを歩きボストンのセンタラルパークであるボストンコ-モンへ。公園を散歩。翌日はハワイから下の娘がやってきました。実は家族4人で外国に行ったのはこれが初めてでした。下の娘を空港で出迎え、そのままハーバード大学のあるケンブリッジへ。MITを見学、そしてハーバードへ。この街も学生街らしく落ち着いて過ごしやすそうな街でした。次の日は土曜日で果織の亭主の洋之君が休みになり皆で南の街、ロードアイランド州のニューポートへ。小生はJazz Festivalで知っていましたが、ヨットハーバーとお城のような別荘地帯です。残念ながらフェスティバルはやってませんでしたが街の雰囲気を楽しみ、シーフードを食べ一日を過ごしました。翌日はボストン滞在最後の日ですが、Plymouth Plantation(メイフラワー号に乗った最初のピューリタンの人々の暮らした街の復元です)を回り、Plymouthの港に停泊したメイフラワー号(復元)を見物しました。小さい孫たちがいるので一日一箇所がいいところであそこもここもは行けませんでしたが、小生らは孫といられるだけで大満足。そしてNYCへ次の日は出発です。NYCまで急げば3時間で行けるそうですが、休み休みしながら5時間かけて着きました。感想は(初めて見るNYC)、スッゲー、この一言です。摩天楼は感動物です。遠くから見る摩天楼は山のように見えます。近くからだとビルの頂上は見えません。時間もなく、小さな孫たちも疲れているので観光はタクシーで駆けるように見るだけ見て回りました。エンパイアーステートビル、国連ビル、自由の女神、グランドゼロ、セントラルパークの端、ユニオンスクエア、ソーホー、グランドセントラルなどほとんどは車窓からの観光でした。ホテルはタイムズスクエアにあるWestin Hotel NY at Times Squareの45階、窓からはEmpire State Buildingも見え夜景、夜明けの景色は絶品でした。最後の夜を孫たちと過ごし、写真を撮りなどして夜更けまで時の過ぎるのを惜しみながら。朝美香は寝ているので家内と上の子の果織、孫の健人と4人でClub Loungeで 朝食をとり、下の娘奈織はハワイへ戻るので空港が違い、ニューアークから飛ぶため朝早くタクシーに乗せて行ってしまいました。 段々と帰りの時間が近づいて来ます。美香も起きてさあ空港へ。途中NYCの渋滞を経験、カーネギーホールを見、ハーレムを通りJFK Airportへチェックインし、周りを見渡すと日本と違い何もありません。しょうがなく一階下に降り、スタンドで飲み物とサンドイッチを買い孫と最後のお別れ。時間になり搭乗口へ行く事となり本当にバイバイの時間が来ました。美香は家内に抱っこされ『一緒に日本に帰る』と泣き家内を放しません。娘の果織が抱こうとしてもバーバから離れようとしません。涙と感動のお別れです。小生もそばで見ていて目頭には熱いものが溢れてきます。たまりません。本当に可愛い美香です。健人はやはり小さいのでただバイバイで終わり。家内と二人後ろ髪を引かれながら搭乗口へ。振り返ると娘たち一家は振り向かずに歩いていました。
平成15年8月27日
行ってきました。妻と二人。可愛い孫たちに会ってきました。長女の家族の家に6泊し。次女もHonoluluからやってきて総勢7人で孫たちの家に滞在しました。13日(日本時間) まずは成田を発ち、13日(米国時間)にNYCのJFK Airportに到着。1日遅かったらNYCの停電にぶち当たるところでした。(くわばらくわばら) そして小さな飛行機でボストンへ。とても天気がよく眼下にアメリカ東部海岸の景色を見ながら飛行機はLogan Airportに着陸。カリブ系のパーサーにご挨拶の後空港ターミナルへ。入国手続きはNYCでして来たので荷物の受け取りへと向かいました。そこに我が愛しの美香と健人と長女の果織が待っていました。美香は我々に向かって飛んでくると思いきやはにかんで来ませんでした。我々の想像した出会いとは幾分違いましたが感動の再会です。孫たちをそれぞれジージとバーバが抱っこして、荷物をレンタカーしたミニバンへ。空港駐車場を出発。娘の運転のまー荒いこと。国際免許を取ってこなかったことを後悔しました。娘たちはボストンでの運転を甘く見ないほうがいいといいますが、(こちとら免許を取って35年、俺のほうが絶対に上手い)と心の中で思い我慢。複雑な高速道路を走り彼女たちの住むQuincyへ車は走り娘は車中から見えるものをいろいろ説明してくれました。後ろでは孫たちが我々を歓迎して歌を歌ってくれたり、母親と同じように説明をしてくれます。20分ぐらい走ると車は閑静な住宅がいへ、高級ではありませんが、そして娘たちが住むApartmentsに到着しました。6階の部屋にと上がりました。バルコニーから外を見ると妻が以前来た時に言っていた 木が6階の所まで延びている と、本当でした、7階まで伸びていました。スゴイ。
今日はこの辺で。続きは後日書きます。
孫たちとBostonで
平成15年7月25日
まだ梅雨も明けずぐずついた気候が続きます。これが明けるとパーッと気分が晴れるのですが。だんだん孫たちに会える日が近ずいて来ました。今はワクワクしてます。ところでお盆休みの代診の先生ですが20日(水)は松岡先生に変更になりました。彼は小生の従弟で日本大学医学部の消化器科の医者です。よろしくお願いいたします。
平成15年7月7日
今日は七夕です。
平成15年6月25日
上の娘一家がどうも今年いっぱいで帰国する予定のようです。それだからと言う訳ではありませんが、孫の美香がジージとバーバにボストンへ来て欲しいというものですから皆様のご迷惑も顧みず8月の13日から21日までボストンへ家内と行ってきます。その間一応13日から18日までは休診とさせていただきますが、19日、20日は代診の先生をお願いしました。二人とも小生の自衛隊時代の先輩と後輩です。小生と同じようなスタイル(身体ではありません)の先生です。
孫たち
平成15年5月12日
また大分サボってしまいました。年が明けていろいろありましたが、3月に鎌倉市医師会の会長選挙があり新しい会長が選出されました。小生も今期より理事となり医師会活動の一翼を担うことになりました。それに伴い4月からのスケデュールがいっぱいになり忙しい毎日を送っております。世の中は不景気が叫ばれていますが医療界も初めてかもしれませんが、患者さまが増えても収入が減るという現象が昨年10月から生じています。世の中的には当然なのかもしれませんが、仕事量が増えているのにそれに伴って収入(個人ではないですよ)が増えないのはちょっと悲しいですね。日本の医療費が外国に比べて高いと思っている方が多いと思いますが(厚生労働省と健保組合が主張しているようですが)大雑把に言うと米国の五分の一ですよ。人口で補正しても三分の一ぐらいでしょう。年金や健康保険の財源を不足させたのは誰ですか?厚生労働省と健保組合でしょ。米国の医師と日本の医師の技術料、診断料の差は調べてみてください。日本の医師のそれは国民皆保険制度を維持するために低く抑えられています。我々医師はそれを高くしたいとは(多少はありますが)考えていません。それよりも国民がどんなときでも、どこでも平均した均一の費用で医療を受けられる今の国民皆保険制度の維持が国民の利益につながると考えています。勿論今の制度での欠陥を改善していくことは吝かでありませんが。何でも医師会の圧力で悪くなっていくようにマスコミ等が言っていますが、老人医療の自己負担の増加、社会保険の3割負担など自己負担の増額は医師会の圧力団体としての力が如何に弱いかを顕著に示しています。過去のイメージで考えないでください。
蛇足ですが4月のたけしのTVタックルで鴻池大臣(特区担当)が『外国人の優秀な医師が日本国内で聴診器(診療)を持てないのは医師会が反対しているからだ。』と発言していました。どこの国に自国の医師免許証を持たない医師に診療させる国がありますか?
これはどこの国にも当然ある国の制度の問題です。世界は広いからどこかに外国の医師免許証で診療できる国があるかもしれませんが、米国をはじめ先進国ではあり得ない制度です。一国の大臣が医師会を誹謗するためとはいえ、バラエティー番組とはいえこのようなレベルの低い発言をし世論をミスリードするのは由々しき問題です。過去、現在の医師会に問題が無いとは言いませんが多くの医師は患者さまの健康を守るために日夜頑張っています。これからも我々医師は皆様の信頼を得るために頑張っていきます。
もう一つ蛇足全部ではありませんがテレビに出演して皆様が喜ぶようなことをコメントする人たちはあまり信用しないほうがいいですよ。
平成14年10月28日
またまた長い間ニュースを更新せずサボってしまいました。6月に帰ってきた孫たちも7月の小生の母(孫たちのヒーバーチャマ)の一周忌を済ましボストンへ元気に(寂しいー)帰ってしまいました。その後したの娘がいましたが、8月の中旬家のぺぺが死んでしまいました。可哀想なことをしてしまいました。盆休みに家内と小生の父を連れて家内の故郷、熊本に行っている間に具合が悪くなり小生たちが帰った次の次の日に、だめでした。寂しい思いを、心細い思いをさせてしまいました。あまり思い出したくないのでこの辺でペペの話は止めます。(ペペは家のシーズ犬でした。)その後9月の27日にしたの娘が2度目のハワイ留学へ旅立っていきました。とうとう本当に夫婦二人になってしまいました。相変わらずボストンの孫、ハワイの娘に家内は毎日のように電話しています。話は違いますが、海外通話はG-コールがとってもお得です。そんなそんな毎日です。またニュースを近々更新します。
平成14年6月27日
6月22日(土) ついに孫たちが帰国しました。初めて見る健人は本当にキカンボウの男の子です。一時もじっとしておらず、ニコニコしながら寄ってきて小生の顔や足を思いっきりつねったり、引っかいたり,痛いのなんの、そして人が痛がるのをキャッキャキャッキャと喜んでいます。生まれて一度も見ないうちにこんなに成長してるとなにか不思議な気持ちです。でも正直とっても可愛いです。上の娘の美香はしっかりとオネーチャンになっていますが、まだまだ赤ん坊でママが居ないと探して泣きます。ジージー、バーバーと一生懸命話してくれます。生意気な仕草も本当にかわいらしく至福の時を過ごさせて貰っています。これから一ヶ月はこの子達と楽しもうと夫婦で頑張ってます。皆様には少々ご無沙汰してしまうかもしれませんがこの場で先に謝っておきます。
平成14年5月25日
今年ももう5月が終わってしまいます。五月晴れの少ない5月でした。そのせいか風邪の患者さま、体調を崩されるお年寄りの方が多く忙しい毎日でした(例年になく)。4月の診療報酬改定で医療機関はどこも変わった制度に四苦八苦しています。どうも厚生労働省のやることは中途半端、その場限り的で。しかし新しい制度は制度としてやっていくしかありません。患者さまたちへのサービスは変わりませんけど。(負担が少し増えてしまいますが)、ただ10月にもう一度改定があるようでますます分かりずらくなりそうで心配です。
愚痴はこの辺でやめて、あと一ヶ月もしないうちに孫たちの帰国です。TDLも予約したし。(ホテルを)帰ってきたらこうしよう、あーしようと考えていますが、下の健人に会って泣かれたらどうしようかと。
そうそう、当院の事務スタッフが一部変わりました。新しく新林(女性)君が加わりました。それから忘れていましたが小生の次女も(奈織)事務で頑張っています。受付のスタッフなので皆様に可愛がっていただければ幸いです。小生もついでに御贔屓に。
今年のゴールデンウィークは懲りもせず(昨年のニュース参照)温泉へと5月3日に行きました。ただ今回は浜名湖舘山寺温泉へ行きました。なかなか景観もいいし、ホテルも料理もよっかったです。ただお風呂が今一かな。行きも帰りも東名をうまい時間に走ったので渋滞という渋滞もなくスムーズにいきました。やはり伊豆は高速道路もなく逃げられない一般道だけ、渋滞は当たり前でしょう。 ちょっと写真を載せてみます。
館山寺温泉
平成14年4月19日
6月に上の娘たちが一時帰国することになりました。一年3ヶ月ぶりで美香と健人(小生は初めて会えるのです)に会えます。今年の最大のイベントです。下の娘が手伝いがてらボストンに迎えに行きます(本人には観光と日本にいる英語を喋れないストレス解消)。健人は10ヶ月を過ぎついに歩行可となりました。さーこれから目が離せないぞ。きっとジージーと言って飛びついてきてくれるな。と思いたいが初対面なので無理だろう。でも美香はきっとジージーと言って飛んでくる。絶対。もうすぐ五月の節句、健人の初節句、小生奮発して鎧兜を送料???円かけてボストンに送りました。喜んでくれるかな。後2ヶ月待ってるぞーーーーーー。
平成14年3月8日
4月から診療報酬の改定が施行されます。大きな変わりはありませんが患者さまの負担が多少多くなります。ただ勘違いなさっている方も多いと思いますが、医療機関の収入が増えるわけではありません。どちらかと言うと診療報酬は少し減ります。患者さまの負担が多くなるということは診療報酬として保険で医療機関に支払われる金額は変わらずに保険で支払われる金額が減り、その分を患者さまの負担を増やすということです。日本の医療保険制度は多分世界で一番優れたものと考えます。なぜならば高度かつ先進的な医療がこれほど平等に享受できる国はまずないでしょう。ある意味で巷の医療機関で専門的な治療、検査が可能です。(高度な医療機関、大学病院に行かなくても)勿論すべてでありませんが、胃カメラ、CT,MRI,など外国では特殊な医療機関でなくては受けられません。日本では自分の町の医院、病院である程度まで、安価に(保険を使って)受けられます。日本では一般市民の検診の制度が安価にかつ高度のレベルで発展しています。これは予防医学の大事な要素です。検診にも最近は多くの疑問や信頼感の低下などが言われていますが、これは他の国と比較すれば高度なレベルでの問題提起であり、さらに信頼できる検診制度への医療界の自己研鑽の過程です。日本の医療制度の中での問題点もマスコミで放送されたり、報道されていますが完璧なものではないのも事実です。今後も今の保健医療制度の基本(国民皆保険、受けられる医療、診断の平等、日本全国での負担の平等など)を守っていければと思います。西欧諸国の医療制度がベストではありません。米国のように民間保険に移行すれば受けられる医療の質、サービスは大きな差が国民の間に起こります。米国では低所得層には公的な医療機関がインフラとして機能していますがわが国ではそのようなインフラの整備はされていません。医療保険の問題で解決される医療の問題は財政問題だけでしょう。医療の質、医療の精神は国の医療をどう効率的、平等に国民に提供できるかなど、国の政策の問題です。たとえば救急医療の充実を考えるならば人口何十万人にひとつなどと公的な救命医療センター設置しすべての救急医療に対処するべきでしょう。個人病院、中小病医院に救急医療を担わせるのは政府の怠慢でしょう。わが国で受けた医療と同様の医療を外国で(先進国)受けた時のコストを保険を使わないで受けてみれば日本での医療の安さが十分に実感できると思います。ただひとつわが国の医療では安易に高度な検査が行われすぎてるきらいがありますが、コストから考えればそこで得られる結果は十分にペイされています。反省点もあって今後も医療に携わるものとして自分だけでなく医師会、学会などの中でも研鑽をしていきますが、皆様方も厚生労働省や健保連、マスコミの何でも医師会が悪い的やり方の後ろに役人や政治家、健保連をもつ企業の思惑を感じてください。
国保は大変です。それと追加ですが、日本の薬は高すぎます。マスコミでは薬価差益が問題と言って医師会や我々医療機関を批判しますが、差益が利益を産んだ時代は過去のものです。薬価が高くて潤うのは薬品工業界です。これは医師会より政府や自民党への圧力団体ですよ。
最後に考えてください。日本の医療保険の一本化。国保(国民健康保険)も社保(組合、共済、政府管掌保険)もなくして一本に。効率的かつ平等な保険医療に不可欠と思います。反対勢力は残念ながら医師会、医学会ではありません。前に述べた関係者の思惑です
今回は少し硬いことを書いてしまいました。 そこでリンクのページに小生の孫たちのホームページ載せました。かわいい孫たちをよろしければ見てください。
平成14年2月7日
最近の政府と政治を見ているとこの国の将来が本当に心配になります。外務省、道路、医療など構造改革が必要なのは当たり前ですが、特に医療制度については直接我々に関連するし、患者さまにとっても重要な問題です。
平成14年1月24日(木)
長い間更新できずにすいませんでした。7月20日に母が亡くなりました。胃癌の再発でした。最後まで診てやれたので小生も母も満足したと思います。二人目の孫、健人が生まれ母が去り。感慨もひとしおです。自身の親をこの年で初めて亡くしました。親が死ぬことを考えていなかった訳ではありませんが、実際に亡くなってみると言葉では言い表せないものですね。でももう少し母と話がしたかった、感謝の言葉も言いたかった、母の話を聞いてあげたかった。後悔はありますけど医者として母をそんなに苦しめずに送ってあげられたこと、いつも傍で息子として、医者として診てあげられました。これからは残された父に幸せな余生を送ってもらいたいと願ってます。これからもう少し頻繁にニュースも更新します。
6月17日(日)
二人目の孫の名前は『健人』です。写真とビデオが送られてきました。凛々しい男の子です。これでキャッチボールの相手ができました。早く大きくならないかな! もう一人の孫、美香は大きくなって、よくおしゃべりしてます。弟の名前もしっかり呼んでいます。
6月10日(日)
6月9日午後7時35分(ボストン時間)3020gの男児を上の娘が出産しました。これで小生は一男一女の祖父となりました。予定日は日本時間の6月10日でしたのでぴったりでした(日本時間では6月10日午前8時35分でした。)。母子ともに異常なく経過しているようで一安心です。一両日中に婿がメールで写真を送ってくれるようなので楽しみに待っています。
5月29日(月)
私事のニュースをひとつ。昨日家内と下の娘がボストンへ旅立ちました。上の娘のお産が近くなり支援のためです。小生の二人目の孫の誕生です。妊娠経過は順調のようです。異国で生むのは少々心配ですが、大丈夫でしょう。初孫の美香がどう反応するか楽しみです。最近言葉に英語が混ざるようになりました。中々いい発音のようです。近くのセンターかなんかでやっている幼児教室に通っていて英語の中で張り切って遊んでるようです。先生の言うことも思ったより理解しているとの事です。今ごろ家内はこの可愛い孫を独り占めにして幸せを満喫しているでしょう。
5月14日(月)
ちょっと一ヶ月ニュースの更新をサボってしまいました。GWも終わり何か世間も落ち着いてきたようで、当院もそれなりに落ち着いてきたようです。やっぱり休みの前は全体に浮き足立つような感じがします。小生のGWは5月3日から一泊で下田に行きました。往き10時間、帰り9時間。『GW、なめてはいけません』 これが教訓です。渋滞の中80才台の老人4人(父母など)を連れて2台の車に分乗した小旅行でしたが、ただただ車の中の二日間でした。最高にショックだったのは逗子に叔母を送り届けて鎌倉の我が家までの掛かったこと一時間20分(普段は約10分)です。もうGWは出かけないぞ。
話は変わりますが最近新聞、TVでC型肝炎が話題になっていますが、我々医療従事者はその対策と治療をもう10年以上前から医学界全体で考え実行してきました。その結果新たな感染は完全、100%とは言えませんが、100%近く根絶できたと思います。治療に関してもインターフェロンの出現により半数近くの人が肝炎から開放される可能性もでき、不幸にも肝硬変、肝癌になってしまった患者さまも早期発見、早期治療で癌による死亡を軽減できるようになっています。マスコミの報道ではまるで自分たちがC型肝炎の恐ろしさを発見して世の中に警鐘を発しているように書き立てていますが、優秀なジャーナリストなら5年も10年も前に警鐘を発していなければいけない問題でした。その期間ジャーナリストが気がつかなった怠慢を恥ずかしいと思ってくれればいいのですが、傲慢にも未だに先駆者顔で報道を続けています。一歩譲ってC型肝炎を認知して世間に知らしめてくれたことは遅いとは言え評価してあげますが。この十年間で新たな感染者を増やさなかった医療の関係者の努力をもっと評価してください。200万いるというC型肝炎の感染者はこれ以上増えないでしょう。10年後20年後には肝癌は激減していることでしょう。これも医学の進歩であり、研究の成果でしょう。医師にとってC型の肝癌は肝硬変になってから発症しますので、しっかり管理していけば早期発見と治療で延命は可能です。恐ろしいのはB型の肝癌です。数はC型に比べれば少ないのですが慢性肝炎のレベルからの発症もあり、極端には肝炎発症後1,2年で発癌する場合もあり、20才台での肝癌死亡例もあります。勿論C型と同様に感染の蔓延化対策は充分になされていますが、感染経路がC型より多彩でまだまだ注意が必要です。
マスコミはセンセーショナルを好みますが、医学の話題はもう少し勉強してその病気の本質に迫れるよう研鑚を期待します。
3月27日(火)
ついつい毎日の診療に追われ、ニュースが更新できません。 それに新しいコンピュータを導入したため、そちらにソフトを移したり、LANを構築したり忙しい毎日です。 子供たちもボストンで何とか落ち着いたようで一安心ですが、妻と2人きりの生活に戻り、寂しさを紛らわせるには忙しい毎日が多少なりとも救いになっています。 なるべく頻繁にHPを更新しようとは思っているのですが・・・
3月14日(水)
可愛い孫の美香ちゃんは両親と下の娘と一緒に3月5日に遠いボストンへ行ってしまいました。残された小生と妻は当日は悲嘆に暮れて涙,涙。でも子供たちから着いたとの連絡で気分も晴れ今は平気になっています。6月に2人目の孫も生まれるので、今年の夏休みは夫婦でボストンへ行きたいと計画しています。ただ在宅の患者さまたちが落ち着いていてくれるのが条件。
2月23日(金)
院長の曾孫、つまり、私の孫(実はもう孫がいるのです。)が娘夫婦とともに、アメリカに行く事になりました。 娘婿は建築家で、アメリカの設計事務所に就職が決まったのです。 下の娘もちょうどいい機会だからと、一緒にいく事になりました。 我が家はそんな具合で、一度に寂しくなりそうです。 孫の名前は美香でまだ1歳半ですので、日本語を忘れてしまうのではないかと心配です。 いつ帰るのかも判らず、私の事も覚えていてくれるかも判らず、帰ってきたら、英語でしかコミュニケーションを取れなくなるのかも判らず。
これからは、皆様と共に診療に専念していきたいと思っています(今までだって専念してきましたが,更にという意味で)。
孫と離れ離れになってしまう可愛そうな一青年医師。
追伸: 孫自慢をしたい方、お便りください。