ハワイ雑感 | IMCニュース
ハワイ雑感
初めてハワイへ行ったのは1975年でした。大学生のときで今でもある4週間英語研修のプログラムで、バンクーバー一週間、サンフランシスコ、バークレー3週間の予定で同級生3人と申し込みました。そのうち最初の一週間は東医体と重なりカナダは諦めバークレーから参加しました。初めての海外旅行でした。一人で飛行機に乗り、それもホノルル経由、ハワイで入国手続きしホノルル空港を一部体験、サンフランシスコへ。サンフランシスコの空港に以前日本にいた親戚の日系人の青年(知ってた頃は小学生)、UCバークレーの学生、が迎えに来てくれました。空港であいつかな?と感じたらそうでした。その後彼のおじの家により夕食、研修予定のUCバークレーに送ってもらい先発の連中と合流しました。3週間カルフォニアを満喫し帰りはまたホノルル経由でした。一泊2日ですがワイキキの浜で泳ぎました。これがハワイ初体験です。二度目のハワイは1980年自衛隊の仕事でテキサスのエルパソ出張の帰りでまた一泊2日のハワイでした。その際は旅行会社のサービスでリムジン観光付きでした。パンチボール他ホノルル観光できました。3度目は2003年で娘がハワイ遊学中に家内と友達親子と5泊7日の定番のハワイ旅行でした。ただ私は定番の島内観光希望ですが、娘、家内、友達親子はそれを望まず、ゴルフとショッピングでした。やはり一泊二日と違いノースショアーまで足を延ばせ、ある意味ハワイを体験できました。4回目のハワイは2010年です。もう7年前です。この時は下の娘の二番目の男の子が12月4日に生まれ、前回も一緒に行った友達親子の次男坊が12月28日にハワイで結婚式を挙げるとの事、5月の連休に飛行機を予約、年末年始の休み中の在宅患者さんの代診を手配してどうにか休みを取り孫に会いに行きました。前回2003年のハワイ訪問から数年後に下の娘はアメリカ人のホテルマンと結婚してハワイに住んでいました。その間に長女を授かり今回長男が誕生しました。このようなタイミングはそうありませんので行く決意をしました。ハワイに行くのに決意が必要とは大げさだなと思うかもしれませんが、一人で在宅患者さんを抱えていると中々いけるものではありません。今回は実にハワイを満喫できました。たかがハワイされどハワイです。孫に会いに、小さいころから娘たちと同じように育った友達の次男坊の結婚式に出席する、すべてが叶えられた旅でした。ホテルは娘の亭主が破格の値段で用意してくれました。34階建ての32階、2ベッドルームのペントハウス、テラスからはワイキキの浜辺が眼下に拡がり、空港に離着陸する飛行機が目の前に見え、ダイアモンドヘッドも見えるオーシャンフロントです。着いた日、娘たちが私の好きなステーキハウスを予約してくれていて家族6人で行きました。ここで問題が、ハワイに着いた日は時差が、(羽田でなく成田発の便だと時差が)ステーキは重過ぎました。半分 も食べられずあーもったいない。翌日は結婚式です。ハワイの教会、海の見える教会、初めての経験です。神父さんが小さい方で何かコケティッシュに感じてしまいました。若い子たちのハワイでの結婚式、それだけのことがあると実感しました。とても素敵な結婚式でした。シチュエーション、教会、小さな牧師さんすべてがらしくそろっていました。無事結婚式は終わりその日の夕食は娘の友人のヤクルトスワローズの某投手の親子も参加してイタリアンのお店に。ローカルなお店でおいしかったです。更に翌日はゴルフです。いつもの如く途中でスコアはつけるのを止めました。ゴルフとっても下手なんです。段々ハワイ旅行は充実し翌日は念願のドールプランテーションに。ここはエルビス・プレスリーの映画『ブルーハワイ』で『ムーンライト・スイム』と言う歌に合わせて観光客をプレスリーが案内するシーンの舞台です。一度は来たかった。ところがあの時代とはまったく違い素朴なパイナップル畑を見れるわけでなく、屋台で食べれるわけでなく、パイナップルのテーマパークでがっかりでした。誰かが『つまらないよ』と言ったのを信じとけば。そして翌日は大晦日です。カウントダウンはホテルの部屋で、花火を見ながら娘家族とヤクルトの某投手家族と過ごしました。これも初めての体験です。初日の出もハワイの海から出る太陽を見ることが出来ました。元旦娘がお雑煮を用意してくれて日本人らしく迎えました。今回のハワイでやっとハワイを堪能できました。長い道のりでした。でもハワイはもっと楽しめる所です。ハワイ島、マウイ島などまだまだあります。どうにかハワイを征服してみたいです。