人声天語(2011年2月) | IMCニュース
人声天語(2011年2月)
『神庫』の原稿の時期がまた巡ってきて、今年は何を書こうかなと考えていたら締め切りが迫って更に『どうしよう』と漁っています。それなら思いつくままに書いてみるのもいいかなと。テーマは絞れず取りとめも無いことを書くこととしました。
毎日様々なことが世の中では起きまた忘れられてしまいます。2010年に日本や世界で起きたことを思い出してみますと印象に残っていること、忘れてしまった事、多くの事件や問題がありました。面白かったこと、頭にきたこと、悲しかったこと、色々な感情をもって思い出します。ただちょっと立ち止まって考えるとあの時思ったことが今はどうなってしまったんだろう? 物事は過ぎてしまうと終わりなのかと思えるほど世の風潮は虚しいものだと感じます。尖閣諸島の問題は? 不消化のまま問題は先送り。ヨンピョウ島の砲撃は? 北朝鮮が6か国協議へ、アメリカが妥協? 何から何まで不消化で欲求不満が募るだけ。ギリシャ経済崩壊は? なんだかんだしている内に世界経済は飲み込んでしまったよう。自分の勉強不足で多くの問題のその後が分からないのかも知れませんが、世の中はもう興味をなくしてしまったようです。次から次へと問題や話題が起こるからでしょうか、マスコミに忘れられるとお終いになるようです。マスコミの役割はこれで良いのでしょうか。元々この国のマスコミには幻滅していますので多くは期待しませんが、政治も含めてもう少しビジョンとポリシーを持って貰いたいのは私だけでしょうか。日本のニュース番組のワイドショー化は止まる事を知らずどのニュースを見て世のでき事を知り、理解すればいいのでしょうか。NHKが少しまともなように思えてしまうのあまり健全な事とも思えません。報道、ジャーナリズムはもっと権力や社会の在りように鋭く迫って欲しい物です。政府や官僚の御用記事を垂れ流し、協力するマスコミは自分達の存在意義を否定しているように思います。報道だけでなく他の番組制作も紙面制作も見事といえるほど横並びです。テレビをつければ毎日必ず芸人を集めたクイズ番組など、同じような番組を各テレビ局がこれでもかこれでもかと放映しています。ドラマのテーマも命を扱えばOKと言うようなのりで乱発しています。歴史ドラマにも現代的感性を入れて命、ヒューマニズムが強調されます。世の中のでき事に白黒をつけて押し付けてくるテレビの姿勢が視聴者には不快だと思わないのでしょうか。それが彼らを縛り、今に自分自身で首を絞めてしまうのではないでしょうか。新聞も同じで一面記事は大体同じ、なぜなら官僚、政府のリーク、発表を公平に取ってくるからでしょう。たまにスクープを取って威張っていますが。テレビの報道で思い出しました。どの局も同じで形容詞的表現の強調が不愉快です。激撮、潜入、特撮など、でも見ると何が? と言うことばかり。恥ずかしくはありませんか? 恥ずかしい訳ありませよね。見ている視聴者のレベルに合わせていると思い込んでいるのですから。ニュースをバラエティ番組化した最大の要因はこの形容詞的番組方針ではと思います。面白そうにタイトルをつければ視聴者は見てくれると。どこでも同じニュース、同じバラエティ、同じドラマ。以前はもっとテレビも新聞も面白かったのに。命も大事、ヒューマニズムも大事、平和も平等も大事、世界の国との(どんな国でも)友好は大事、そんな事皆分かっています。でも問題は沢山あるのですから一律に物事を決め付ける報道はやめて欲しいものです。これも戦後の世相、教育が原因なのでしょうか。平和といい続ければ平和が来ると思っている人は、国を守ろうというと反平和主義、憲法改正も反平和主義など、ある作家の方が言う言霊に縛られているようです。このような思考停止した人たちがマスコミにも多くいるのか、このような思考回路しかできない人が多いのでしょうか。私には分かりませんがマスコミがこれでは日本人はどうなってしまうのでしょうか。マスコミはでき事が起こると一生懸命取材し、専門家たちを集め論評したり、当事者や当事国を非難したり、擁護したりしていますがその時だけ。後日そのでき事が違う結果だと前言を忘れてしまいます。刹那的、それがテレビ文化なのかも知れません。言葉に対する責任は希薄になり、日本語としての言葉を大切に丁寧に扱わなくなります。マスコミの人も今の日本人全体も同じですが、自己責任の欠如がこのような文化を増長させているように思います。職業柄自己責任が当たり前の仕事をしていますので余計感じてしまいます。だらだらと書いている内にマスコミへの不満ばかり書き連ねてしまいました。日本と日本人の問題はもっと複雑で深刻なのかも知れませんが、マスコミへの不満はその一端を現していると思います。表題も代表的新聞をもじらせて頂きました。天声人語とは? よく知りませんが天の声って何処から聞こえてくるのでしょうか。それを人の言葉で誰が語るのでしょうか。少し傲慢な感じがしますが。今回の私の戯言は人が苦しみ、悩み、喜び、歌い、騒いで出す声を聞いて、天はどう語ってくれるのか? それを知りたくてちょっと騒いで見ました。