歴史ロマン(2008年12月) | IMCニュース
歴史ロマン(2008年12月)
歴史とロマン。日本史は小生にとって仕事の次に好きなものです。古代から現代に至るまで、あらゆる事象がその対象です。古代は、先史時代と歴史時代に分かれますが、その分岐点は現在から考えれば史料の有無で分けられます。しかし実際はいつごろなのか歴史の当事者でさえ意識していないのでわかりません。そこにロマンが生まれます。一般に日本書紀、古事記、風土記などが国内の書物としての一番古い史料と考えられています。一方考古学の世界も科学的な方法、技術が、多くの新しい知見を提供してくれています。日本書紀、古事記の世界の事象もこの科学的進歩が史実として新しい世界を導き出してくれています。これらの文献には伝承や見聞による史実と史実を多少デホルメした物語が含まれています。その物語としての史実は、一方ではロマンに溢れたファンタジーであり他方では時の権力者、編集を掌った人々の都合を反映した、時として史実を曲げてしまう物語になっています。史料と史実に基づく歴史が正しいとは思いますがそれだけでは面白くありません。現在多くの古代に関する本が色々な説を述べています。読んでみると夫々『ごもっとも』と感じてしまいますが、自分で色々構成し考えていくことで面白い世界ができてきます。それがロマンなのかと思います。実際古代の史実を確定することは難しい問題だと思います。最近言われていることのひとつに縄文時代(約16500年前から3000年前、世界史的には中石器時代ないし新石器時代に相当し、基本的に竪穴式住居に暮らし縄文土器を使用していた時代。草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に分けられる)の再考があります。今まで言われていたより縄文時代はもっと古く、その文化も相当なレベルであったと思われます。これも南九州の上野原遺跡(縄文草創期。約13000年前から11000年前)の発見や三内丸山遺跡(縄文中期中葉。約5500年前から4000年前)の発見などが新しい知見を古代史に加えられた結果です。特に南九州で約6300年前に起きた喜界カルデラの噴火は草創期の南九州の縄文文化を破壊し大きな影響を与え、日本の神話にもその痕跡が残るような影響を及ぼしました。長い縄文時代は日本の文化のふるさとであり、日本人の心の源でありその後に続く歴史の源流として重要であり、押さえておきたい知識です。最近この分野で『古代の謎』なる言葉が良く見受けられます。ロマンあふれる言葉です。縄文人の謎、弥生人の謎、卑弥呼の謎、大和朝廷の謎などなど。心がうきうきしてきます。大体最近本屋に行かずにイナターネットで本を買います。この『謎』という字に弱くつい買ってしまいます。その中でも『ホマツタヱ』については興味津々で読んでいます。まだすべてを読破してないので結論は出ませんが面白いです。漢字の渡来以前の文字、文化ということで。でも客観的に考えるとこの文字が一般的であるならば『古代の謎』はもっと明らかになるのにな?と考えてしまいます。でももっと研究が進めばこの文字、文化が一部地域のものであっても面白い事実が隠されているのかも知れません。時代が下りますが他に古代史の謎といえば邪馬台国と卑弥呼です。諸説ありロマンが拡がります。卑弥呼と天照大御神との関係、卑弥呼の後の女王壹與は誰に比定するか?神話と歴史との融合、これは本当に楽しい分野です。大和朝廷の神話と出雲神話との関係。天照大御神と須佐之男命との対立、須佐之男命の子孫である大国主命の国譲り神話、出雲大社の神の祀り方が他の神社と違うことの謎、その参道が本殿に向かって直線でない謎。考えると色々ありますが、これらの真実に近づくためには歴史としては考古学的、文献的に多くの困難が待ち受けています。一方小生みたいな歴史大好き、歴史にロマンを求めてしまう人種には格好の世界です。歴史の中の謎解きは大変な時間と労力が必要です。小生はそう言った研究は専門家に任せ、専門家の方々が書いた書物を読みロマンを膨らませ生きたいと思います。少々飛びますが歴史小説の世界にも歴史のロマンが溢れています。『小説なんだから史実は違う』と仰る方も多いかと思いますが、歴史小説を書かれる作家の史料、書物を読まれる量は半端でなくそれから生み出される物語も一概に間違っていないかもしれません。最近加藤 廣氏の小説『信長の棺』『秀吉の枷』『謎手本忠臣蔵』などは本当にロマン溢れた作品として楽しませて貰っています。余談ですが『信長の棺』が発行された時、高校時代に読んだ八切止夫著『織田信長殺人事件』を思い出しました。40年前にも加藤氏と同じような歴史の謎に挑んだ人がいたことが今回の小文のテーマ『歴史ロマン』を書きたかった一因かもしれません。