井口内科医院承継までの道のり~その1~
【井口内科医院の歴史】
昭和36年1月 井口善二郎先生により開院
平成21年2月 井口和幸先生が院長就任
平成31年1月 井口和幸先生逝去にて一時閉院
令和01年7月 室本正郁先生が院長に就任し診療再開
令和07年8月 松岡 俊一が承継
【私と鎌倉、そして和幸さん】
私は昭和33年、鎌倉市御成町にあった高山産婦人科医院(現在はコインパーキングになっています)で生まれました。ハリス幼稚園、鎌倉市立御成小中学校を経て鎌倉学園高校に入学、と、この鎌倉の地で育ちました。そのころ私の従兄弟従妹は鎌倉市内に12名おりましたが、前々院長であった故井口和幸先生(以下、和幸さん)も従兄の一人でありました。和幸さんは8歳年上ですので私が幼い頃はまともに相手にもしてくれませんでした。私は大学受験でちょっと寄り道をしてから、和幸さんと同じ日本大学医学部に入学致しました。和幸さんは大学卒業とともに自衛隊病院の消化器内科に進みました。私は医師国家試験合格後、相談した訳でもなく和幸さんと同じ消化器内科医に進み(履歴参照)、医師として年数を重ねるにつれ一番仲良しの従兄としてお付き合いさせて頂きました。同じ消化器内科でも和幸さんは胃腸科、私は肝臓内科を専門としていたため和幸さんは井口内科医院に肝臓専門外来を開設し平成17年から私は月一回外来診療のお手伝いをすることになりました(井口内科医院の肝臓外来は今年で早や20年を経過します)。平成27年に私が母校日本大学医学部教授・消化器肝臓内科部長になったときは大変喜んでくれて、その年の井口内科医院忘年会で就任のお祝いをしてくれました。奇しくも和幸さん自身が鎌倉市医師会長に就任した年と重なりましたが、自分のことは二の次に、自分のこと以上にとても喜んでくれてよくして頂きました(こういった和幸さんの行動は私に限らず万人に向けられ、皆さんが頷かれることと思います)。和幸さんのご両親(私の叔父叔母)や弟さんが病を患ったときも第一に相談してくれました。そして自分がいろんな病気にかかってしまい、それらが発覚したときも真っ先に私に相談してくれました。8歳も年が離れていれば、背伸びしている自分からは当然憧れの大人(私が小学生のころは既に高校卒業していた!)でありましたが次から次に病気が発覚し逆に私が頼られるようになり、自分がしっかりしないといけないと、ときには随分きつい口調で叱咤激励することもありました。そうこうする中、あと1日で68歳になるはずの和幸さんは令和元年1月6日、あの世に旅立ちました。生前から「お前は大学でもっと偉くなれ、俺は好きな開業医を、家庭医をやっていくから」が和幸さんの口癖でした。そして時間は過ぎてゆき私も勤務医として定年を迎え、この度ゆかりある井口内科医院を継承させて頂く運びとなりました。