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井口内科医院承継の道のり ~その5~

【私と肝臓病学】私の父親も放射線治療専門の医師で、聖路加国際病院放射線科部長の役職でした。父はかつて井口内科医院で胃透視検査(当時は内視鏡の普及はまだされず胃の検査はバリウム検査が主流でした)をお手伝いしていました。私が中学生の頃はよくついて行って見学させてもらい父から説明を受けたことで、胃の検査に興味を持った記憶があります。そのことも深く関係し医学部を卒業してから消化器内科医局に入局しました。そして内視鏡診療を中心とする消化管グループの研究班に入班する予定でした。しかしまだ研究班が決まる前、虎の門病院肝臓科に国内留学の形で出向を命ぜられました。当時肝臓病学は花盛りの時代であり、世の肝臓病の先端を虎の門病院が牽引していたといっても過言ではありませんでした。C型肝炎に対するインターフェロン治療は日本一の症例数を誇り、熊田博光部長率いる虎の門病院は肝臓学会でも一目置かれた病院でした。朝7時からのカンファレンスで一日が始まり診断治療に明け暮れ帰宅は殆ど22時頃という毎日でした。(当時の)池田健次医長からは主に肝細胞癌に対する肝動脈塞栓術を、茶山一影医長(のちの広島大学消化器内科教授)から腹腔鏡による観察と生検診断、村島直哉先生(のちの自衛隊三宿病院部長)には食道胃内視鏡診断及び食道静脈瘤結紮療法、熊田博光先生には肝臓病理学を徹底的に教えて頂いたほかに診療における基本的態度をご指導くださいました。また学会発表や論文などの重要性についても厳しくご指導頂きました。ときには辛い日もありましたが、超一流の先生方から肝臓病学を一から教えて頂き充実した日々を過ごすことができましたことは今でも感謝しており、私の大きな自信に繋がっております。虎の門病院で研鑽を積ませて頂いたお陰で大学に戻ってからも肝臓病に興味を抱き慢性肝炎や肝硬変の診療に従事しました。大学の放射線科にも所属し当時の武藤晴臣助教授にご指導頂き肝細胞癌の画像診断研鑽と、塞栓術を中心とした治療に明け暮れ、駿河台日大病院救命救急センターでは劇症肝炎の治療や管理を、また肝移植チームの一員として高野靖悟先生(のちの相模原協同病院院長)を中心に外科とともに仕事をして参りました。当時の日本大学医学部消化器外科教授高山忠利先生には肝細胞癌の臨床研究面で大変お世話になりました。そしてそののち、門脈圧亢進症に興味を持ち特に胃静脈瘤のカテーテル治療であるBRTO(バルーン下逆行性経静脈的塞栓術)を独学で始め、日本大学医学部付属板橋病院では森山光彦消化器肝臓内科教授のご指導のもと門脈圧亢進症の研究班を持ち後輩の育成をしながら症例数を重ね、BRTOは関東甲信越で2年間TOPの症例数を経験することができました。この間、日本門脈圧亢進症を学専門とされる、尊敬する先生方に出会いました。当時日本門脈圧亢進症学会理事長であられた國分茂博先生、現理事長の日本医科大学吉田寛教授や、虎の門病院でお世話頂いた村島直哉先生、高知赤十字病院外科部長の近森文夫先生には並々ならぬご指導を頂戴し門脈圧亢進症学の面白さをご教授頂きました。以上のように肝臓に関してはほぼすべての病態を経験させて頂き、肝臓病学は私の専門分野になりました。

井口内科医院